今江克隆のルアーニュースクラブR「Ambassadeurと私とGraviusと。」 第1303回
今週はTOP50最終戦霞ケ浦に滞在中。ちょっとしたお知らせだが、現在JB/NBCが製作したオリジナルアプリ「Catch Fuji」でTOP50選手も参加するフォトトーナメントが開催中。
すでに今江克隆CUPは終了したので、現在開催中のケイテック宇佐美素明CUPに自分も満を持してブービー賞狙いで霞ヶ浦からエントリー中だ。現在1位はなぜか琵琶湖で反則の60cmUPを投稿した薮田和幸プロなので、薮田プロに豪華賞品獲られないよう、誰でも簡単に投稿できるのでアップルストアからアプリをダウンロードしてエントリーしてみてください。必ずしもサイズのデカさのみで優勝するとは限りませんので。

JB/NBCの公式アプリ「Catch Fuji」。現在さまざまな情報発信と、TOP50プロも参加する、誰でも投稿できる全国フォトトーナメント開催中。各大会優勝者には豪華賞品が当たるみたいです。
ということで、今は練習途中なので練習レポートはまた来週。今週は現在赤い「アンバサダーVOLTIQ」の発表で世界的にも話題沸騰中のAbuGarciaと私の長きにわたる歴史と今に至る経緯を来季に向けて整理しておこうと思う。

今年閉鎖されたABUのSWEDEN本社工場。今週は自分とABUの50年以上にわたる日本昔話をしてみようと思う。ABUの歴史と今に至る道のりは自分の釣り人生そのものなのだ。
ABUとの出会い
自分とABUとの出会いは今から50年前、小学6年生の時だった。
豊中市のシャークという当時フィッシングサロン心斎橋と並ぶ関西のバスプロショップの元祖といえるお店で、レジ横のショーウィンドウに陳列された、およそ小学生では絶対に触ることすらできない憧れのSWEDEN製ベイトリールがABUだった。
まだこの頃、ルアー釣り=スピンキャストリールが主流の時代であり、ショーウィンドウの中で燦然と輝くAmbassadeurは、絶対に手の届かない宝石のような輝きをもつ、今でいうバスボートに匹敵するまさにバスフィッシングのステイタスの代表的存在だった。
その中でも自分の目を釘付けにしたのは、真っ黒のボディに真っ赤なサムバーが装備された当時最新鋭のAmbassadeur、5600C通称「赤ベロ」だった。漆黒と情熱の赤、当時の自分にはそのコントラストがあまりにも鮮烈で、しかもクラッチを片手で切ることができる世界初の最先端技術に衝撃を受け、何が何でもこのリールでバス釣りがしたい!と夢にまで思った憧れの存在になった。

中学生時代、欲しくて欲しくてたまらなかった5600C、通称”赤ベロ”。Ambassadeurは紛れもなく、バスフィッシングの象徴であり、誰もが憧れた最高のバス釣りステイタスだった。
Ambassadeurの代名詞である5000Cでもなく、ブルーガンメタが美しかった2500Cでもなく、自分が一番憧れたのが5600C赤ベロだったのである。
それから3年、3年分のお年玉を貯めた自分は、そのすべてを握りしめシャークのオッちゃんに全財産を渡し、ショーウィンドウに鎮座する5600Cをついに手渡してもらえることになった(当時価格はダイワ・ミリオネアが5,000円、5600Cは30,000円後半だったと思う)。その時のズシッとくる重さとAmbassadeur独特のしっとりとしたギアの感覚は今もハッキリ覚えている。

確か高校1年の頃、3年間貯めたお年玉で買った初めてのアンバサダーが5600Cだった。最初は青いガンメタの2500Cに憧れたのだが、黒に赤のベロが無性にカッコよく思えて釣具屋シャークで突然気が変わって買ってしまった。
ここから自分のABU人生が始まるのだが、バイトが自由にできる大学生になるまでに自分が買えたAmbassadeurは2500Cの1台のみだった。決して裕福ではなかった平凡な家庭では、バス釣りのリールは国産の5,000円前後のリール、竿は3,000円程度のシェイクスピアを親にねだって買ってもらうのが精いっぱいだったのである。
ちなみに余談だが、当時ダイワのルアー本でスキーターボートに乗って手を上げるラリー・ニクソンがカッコよすぎて、高校生時代からアメリカ情報に敏感だった自分はアメリカ製ベイトリール「フルーガー」にも猛烈に憧れたことがあった。Ambassadeurとはまた違ったアメリカンなカッコよさを持つフルーガー、ただ性能的にはABUと雲泥の差があったようだ。後にABUがフルーガーを吸収したことで自分のABU熱はさらに過熱した。

実はABUと同じくらい憧れたのがアメリカのフルーガー。当時はヨーロッパのABU、アメリカのフルーガーが世界のベイトリールの覇者だった。デザインがメチャクチャ渋くてカッコよさではフルーガーだったが…

見た目は超カッコいいフルーガーだったが、性能は笑えるくらい投げづらかった。性能的にはメイドインスウェーデンはアメリカをはるかに凌駕するキャストの気持ちよさと、巻いてる感抜群のギアだった。
バストーナメント、バスプロ
そして初めてトーナメントを意識しはじめた大学2年生の頃、もう一つの憧れができた。それが田辺哲男さんだった。
実は当時、バスプロとして日本一有名だった田辺さんはエビスフィッシングに勤めており、そのエビスフィッシングこそがABUの日本総代理店であり、「田辺哲男=ABU」のW憧れが自分をトーナメントプロへと掻き立てる大きな動機となった。
そして大学を卒業し商社に勤務しながらプロになって、二足のわらじを履きながらも自分はバスプロとして実績を残し、ついに憧れのABUからプロ契約を受けることになる。
シグネチャーモデル
数年後、自分でも正直、信じられなかったがABUから正式にAmbassadeurに自分の名を刻印したシグネチャーモデルのオファーが来た。USAの著名バスプロのシグネチャーモデルは世界的にも有名だったが、まさか日本でしか活躍していない自分がそこに名を刻めるとは夢にも思わなかったことだった。

初めて自分のABU公式シグネチャーモデルとなった4600RD&DDL。自分の名が憧れのアンバサダーに刻印され、スウェーデン本社のABUミュージアムに展示されたことは今も誇りであり最高の思い出だ。

当時は右巻きが90%シェアだった時代、左右両刀使いを提唱したデュアルディールの4600番。ラリー・ニクソン氏が来日した時、桟橋両サイドを攻める時、右手でも左手でも正確に投げていたことに感銘を受けて始めたコンセプトだ。
2000年、Ambassadeurとして初のコンパクト丸型ベイト「モラム」が世に出た折には、ZPIとのコラボレーションで初めてサードパーティーによる公式フルチューンのモラム・AE74を世に出した。

ABU史上初のトーナメントを意識したアンバサダーと言える小型の「モラム」シリーズ。ZPIによるフルチューンの肉抜きホイールデザイン、超軽量マグネシウムスプール搭載など、まさにベイトフィネスの走りとも言えるフルチューンだった。

実はモラムAE74は昔憧れたが手に入れられなかったゴールドメッキのアンバサダー2500CDLのオマージュでもある。AEはIMAEのAE、74は自分の誕生日である。
さらにその後、トーナメント全盛時代を迎えABUはAmbassadeurとは別系列のプロ仕様、ロープロの「REVO」シリーズをラインナップする。そしてこの時は、ABUの要請でSWEDEN本社に招聘されABU本社ミーティングにも参加、この時、開発責任者がお遊びで作った「オーロラカラー」のリールを見つけ、北欧のオーロラをイメージした今江シグネチャーモデル「レボ・AURORA」がSWEDENの現場で決定するという異例の展開になった。
「マグのオーロラ」、「遠心の暁」、あとで触れるがABUの良さは常にユーザーの好みに合わせて自分色にリールを染められる「余白」を残して製作されている点がある。オーロラと暁の2種をラインナップしてくれたABUの企画開発担当、技術担当の釣り人の心がわかる心遣いに感動したものである。

ABUが満を持してトーナメントモデルとして世に問うたアンバサダーとは異なる本格ロープロの「REVO」シリーズ。SWEDEN本社訪問時に、現地開発者と意気投合し北欧のオーロラをイメージしたシグネチャーモデルが生まれた。ちなみにオーロラとは、日本語にすると暁なのだ。下は進化した2代目オーロラ。
ABU FOR LIFE
その後、「REVO」シリーズはLTZを経てLXへと進化を果たしていく。
この頃、日本ではベイトフィネスが一大ブームとなり、LTZをZPIでフルチューンした930pro/ik-combi、ZPIが総合メーカーに転換したことで同社から独立したREVIVE武本チューナーがABU公認で手掛けたLX992RSへと、ABUは日本の市場に合わせてサードパーティーと手を組むことで、存分にその「余白」を自分色に染めて楽しめるリールとして独自の存在感を持つブランドへと進化していった。

当時ZPIでフルチューンしたLTZ930。だが、LTZはどうしてもショートノーズが超軽量ルアーには致命的だった。それを解決したのが当時青木哲がデザインした鉄仮面こと、ウェルダクトロングノーズユニットであり、これが青木哲との初めての出会いになった。
このような経緯を経てABUを通じて、小学生の頃にバスプロを知るきっかけになったUSAレジェンドプロ、ラリー・ニクソンとも知り合い、共に釣りをし、AbuGarciaの親会社であるピュアフィッシングのトム・ベデル会長にもアイオアの自宅に招いてもらい1週間共に家族と過ごすなど、ABUとの関係は単に会社と契約プロとしての関係以上に深まっていった。氏には自分の結婚祝いとして名前を刻印したペアのメモリーワイングラス、さらにワンオフの名前入り結婚祝いAmbassadeur 5000 Record、そして後に長年のABUに対する貢献を表彰する公式サーティフィケーションも頂くことになった。
もはやABUとの縁は絶対に一生もの、「ABU FOR LIFE」のスローガンをイマカツの「LOVE FISH FOR LIFE」に入れたほど、ABUに対する愛情と思い入れは小学生の時から全く変わることもブレることもなかったし、それは自分が引退しても続くものだと当たり前のように信じていた。

ショートノーズを鉄仮面で解決したことから、次のレボLXはロングノーズに改良された。AE74でデザインされた肉抜きレーシングホイールデザインはLXにも継承された。ベイトフィネス全盛時代だ。
突然の別れ、Gravius




















































