ルアーフィッシングのトピックをこまめにお届けする釣りの総合ニュースサイト

山田ヒロヒト連載「ヤマラッピワールド第2回」釣具メーカーのテスターになりたい!と考えているアナタに伝えたいこと!

連載:山田ヒロヒト「ヤマラッピワールド」

毎月20日に配信(月イチ連載)

山田ヒロヒト (hirohito yamada) プロフィール

バックドリフト、ノーテンションソフトフォールなど、新たなエギングの扉を開き続けるエギンガー。2016年年末に、それまで23年勤めた会社を退社、2017年よりフルタイムのプロアングラーとしての活動を開始。これまで通りエギング関連アイテムの開発を続けるほか、イカ係長とフィッシングブランド「NUTS & VOLTZ」を立ち上げるなど、活躍の場を広げている。なおアオリイカの自己記録は屋久島ロケ中に捕獲した4280g。1968 年7月生まれ、大阪府出身、奈良県在住。趣味はスノボと一眼レフカメラ撮影。

  

さて早いもので、連載「ヤマラッピワールド」がスタートしてからもう1ケ月がたちます!

そして気づけば2019年も、あとわずかで折り返し地点。

時が経つのが早すぎて、しっかり考えて計画的に行動しないと、貴重な時間がアっという間に過ぎてしまいますね。

さて今回は連載第2回目。

前回は、私の生い立ちを思い返しながら書きましたが、その原稿用の写真を探している時に、自分の幼い頃の懐かしい写真が出てきたので、今回、少しご紹介させいただきます!

ちょっと恥ずかしいですが、見てやってください(笑)。

 

山田ヒロヒト秘蔵写真
「車好きになった原点⁉」

子供の時に、おじいちゃんが買ってくれた車の乗り物に乗っている写真です。

実は私、おじいちゃんっ子で、一時期は、寝る時も、旅行の時も、常にくっついて行動していました! で、この写真ですが、おじいちゃんに買ってもらった「愛車」を超気に入ったようで、かなり長い期間、毎日乗るだけじゃなく、長時間乗り続けるような日も多かったようです。

大人になっても、ずっと車好きでいる原点はココからきているのかもしれません⁉(笑)

 

続いて…。

山田ヒロヒト秘蔵写真
「今はうるさい!と言われることが多いですが、小学生時代は…」

小学生の時には父親のススメもあって、少年野球チームに入っていたのですが、その時の写真がコレ!

確かチーム名は「国分タイガース」だったはず! モロに阪神タイガース的なユニフォームですね(笑)。

で、少年野球チームでのポジションは、センターやキャッチャーでした。

大きな声で指示を出さないとダメなポジションなのですが、当時の私は内気な性格で、なかなか大きな声が出すことができませんでした!

ただ、大人になった現在は、行く先々で「うるさい!」と言われることが多くなったような…(笑)。

ちなみに少年野球をやっていた経験から、大人になっても野球がやりたくなって25歳くらいの時にチーム作って試合をしていました。

子供の時は父親が怖かったので、少年野球も、ドコかやらされてる感があったのですが、大人になってからは野球が楽しくて仕方なかった覚えがあります!

 

「テスターになるには、どうすればイイですか?」的な質問を受けることが多いのですが…

さて、ここからは本題。

最初、今回の連載で、何について話をしようかと悩んだのですが、まだ2回目なので、今回も生い立ち的な話として「タックル開発について」とか「サポートメーカーとの出会い」とか、そういった話をしてみることにしました!

連載2回目のテーマは「釣具メーカーのテスターになりたい!と考えているアナタに伝えたいこと!」

多分、釣り人の中には、「テスターになりたい」とか「メーカーに入りたい」とか、釣りに携わる人生を送りたいというような人がたくさんいると思います。

実際いろんな場所で、「山田さん!どうやったらテスターになれますか?」とか「どうすればメーカーに入れますか?」「どうすれば自分の理想のタックルを製品として出すことができますか?」という質問を受けることが多いんですが、なかなか「答えはコレです」というモノがないので、いつも困ってしまっています。

ただ、私に置き換えた場合、その問いに対する答えとして1つだけ、いえることがあります。それは…。

「信念」「思い」が大切!ということです。

 

私がラインメーカーの「サンライン」さんと繋がった「いきさつ」とは?

テスターになるには「信念」「思い」が大切!って、どういうことなのか? を説明するには、私がテスターをつとめるラインメーカー「サンライン」さんのテスターになったいきさつを、お伝えするのが分かりやすいと思うので、その話をしていきますね!

 

無名だった私にナゼ、サンラインさんから声がかかったのか?

さて、私がサンラインさんのテスターになったのは、エギングを始めて間もない頃、ブリーデンのテスターになってから、すぐくらいのことだったと記憶しています。

当時、無名だった私にサンラインさんが声をかけてくださったんです!

その時のことを思い起こすと、素直にうれしかったのを覚えています。

ではナゼ、サンラインさんが私に声をかけてくれたのか?

 

当時、通っていた釣具店「玉川フィッシングセンター」にエギング好きの社員さんがいて、その子が、後に私をサンラインさんと引き合わせてくれることに!

まず、そもそものキッカケは当時、大阪に玉川フィッシングセンターっていう大きな釣具屋さんがあって、私がそのお店によく顔を出していたからなんです。

で、そのお店には、エギング好きの野崎くんっていう社員さんがいたんです。

後に、その野崎くんが私とサンラインさんを引き合わせてくれることになるのですが、当初、そんなことになるとは夢にも思っていませんでした!

 

昔、通っていたお店(今はなくなってしまいましたが…)は、大阪府東大阪市にあった「玉川フィッシングセンター」。当時、あのバス釣りの今江克隆さんがよくセミナーを開催していたお店でs。実は、玉川フィッシングセンターの女社長さんは、まだ無名だった私に、エギングセミナーをやってほしい!と熱心に誘ってくれ、実際に1度だけ、セミナーをやらせていただきました

 

「スポーツ&フィッシングニュース」が主催する大会で優勝!

当時、私は各地のエギングの大会に腕試し、それから何かを掴みたい!という思いでたくさん出場していました。

そしてある大会に出場したことが、私と野崎くん、そしてサンラインさんが、つながるキッカケとなるのでした。

その大会というのが2002年頃に行われた「世界釣り好き王トーナメント」第8戦アオリイカ大会 in南紀  [周参見]でした !

その大会は今では休刊してしまった雑誌「スポーツ&フィッシングニュース」が主催する大会でした。

この大会には約200名ほどが参加! 参加者の中には、弓削和夫さんや小沼正弥さん、吉崎俊くんなど、業界のビッグネームたちがこぞって参加していました。

競技の場所は波止!  大会の流れとしては、まずは予選があって上位25名が決勝に進出! そして同じ波止で決勝戦が2時間で行われるというものでした。

そしてその大会で私は優勝することができたんです。

大会レポートの紙面。この雑誌は独特な切り口で面白く大好きでした。先日、読み返してみたのですが、やっぱり面白かったですね。ただ1つ気になったことは、優勝したのに全然笑ってない自分のイカ持ち写真です…怖そうに映ってますね、私(苦笑)

 

 

で、その大会の予選を1位で通過していたのが、前述した野崎くんだったのです

で、後から知ったんですが、実はその大会に、前述した玉川フィッシングセンターの野崎くんも出場していて、何と予選を1位で通過していたんです。

野崎くんと大会後にお店で会った時に、野崎くんは私に「エギングを教えてほしい」と熱烈なラブコールを送ってきたんです

その大会が終わって、後日、いつものように玉川フィッシングセンターに顔をだしていると、その野崎くんが「エギングを教えてください!」って声をかけてきたんです。

その時の勢いがスゴくて、何度も何度も私に熱烈なラブコールを送ってきたんです。

それから、野崎くんと、濃い釣り仲間になって、一緒にエギングしたり色々な釣り談義をかわしました!

 

で、私がその時、一番アツくなっていたのが、エギングのPEラインの糸巻量のことでした。

当時のPEラインって120mとか80mとかの糸巻量の少なめのモノが多かったのですが、私としては、自分の釣りで、必要に迫られてどうしても糸巻量の多いPEラインがほしくてほしくて…。

そうしたら野崎くんがサンラインの「投げ競技」0.6号250mというラインを見つけてきてくれたんです。

このPEラインは当時1万円以上しましたが、そんなことは気にもならず、超気に入って愛用し続けていました。

 

野崎くんが「エギングのラインにこだわっている人がいる」と、私をサンラインに紹介してくれた!

野崎くんいわく、私のPEラインに対するこだわりがスゴかったそうで、それならば!と野崎くんがサンラインさんの営業さんに「エギングのラインに、超こだわっている人がいる」と私のことをを紹介してくれたんです。

この一連の流れが、私がサンラインさんのテスターになったいきさつです。

今思い返すと、自分がPEラインに対して、アツい思いを持ち、信念を持っていたらから、サンラインさんとつながったのだと思っています。

それからサンラインさんと長い間、仕事をしていく中で、糸巻量の多いPEラインの開発にも関わることができ、最終的には自分のプロデュースする糸巻量の多いPEラインを世に送り出すこともできました。

あの当時のPEラインに対する思い、信念が最終的に製品となったのです。そしてエギングのPEラインは今や200m以上の糸巻量が普通となっているのも私としては感慨深い出来事として心に刻まれています!

1 / 3
次へ