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釣りと幸せの話 第二話 ~比べない釣り、比べない自分~

連載:加来 匠レオン「ライトゲームマニア」
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今日は、僕が釣り人として幸せであり続けるために身に付けた、“心の技術”について話をしてみたいと思います。技術と言っても、キャストや潮読みのような実戦スキルではなく、もっと静かで深い場所──“自分の心をどう扱うか”という話です。

レオン 加来 匠(Kaku Takumi) プロフィール

加来匠(かく たくみ) 中国&四国エリアをホームグラウンドとし、メバルやアジ、根魚全般の釣りを得意とする生粋のソルトライトリガー。レオンというのはネットでのハンドルネームとして使い始めたが、いつの間にか、ニックネームとして定着。ワインドダートやSWベイトフィネスなどを世に広めた張本人、新たなスタイルを常に模索中! 「大人の遊びを追求するフィッシングギアを提供する」ことを目的としたプライベートプロダクション「インクスレーベル」代表もつとめる。

幸福であり続けるためのテクニック

世に“十人十色”という言葉がありますが、現代社会では十人どころではありません。千人いれば千の色があり、千の輪郭と千の呼吸がある。釣りもまた、同じくらい多様でいいはずです。

若い頃、大変歴史のある釣りクラブで過ごした時間が、僕の“心の置き場所”を自然と育ててくれました。師や先輩達と一緒に海に立ちながら、背中越しに教わった心の構えのようなものです。その影響か、ある時期から、釣りで不幸な気持ちを抱えることがほとんどなくなった。同行者が自分より大きな魚を釣ることがありますよね。仲間でも、初心者でも、弟子でも。しかし僕の心に湧くのは、不思議に「すごいな」「やったね」「おめでとう」という素直な共感の感情だった。先達のおかげで、20代後半にはこの心の癖が自然なものになっていった気がするのです。

なぜ釣りをするのか。楽しいから。おもしろいから。心が震えるから。そして、幸せだから。当たり前ですが、釣りは、誰しもが自分の幸福のためにやっているものですよね。そして、少年時代のある日、父が残した言葉が成長した僕をさらに支えてくれたようです

「釣りはね、魚では無く、心と体の健康を釣る遊びだよ。」
「釣りはね、自分探しの長い旅なのだよ。」

年齢を重ねるたびに、この言葉は新しい意味をまとって胸に戻ってきます。

他人の一匹を“材料”にする

他人が自分より大きい魚を釣ったとき、その瞬間に心がザワつくことは誰しもあるでしょう。でも、そんな時こそ感情ではなく“考察”を置く。

• 立ち位置
• レンジ
• ルアーの種類
• アクションのテンポ
• 潮のタイミング

仮説が外れても構わない。“違いを拾う習慣”そのものが、未来の自分の支えになります。他人の一匹に心を削られるのか。それとも素直に伸びるための糧にできるのか。釣り人を不幸にするのは、いつも他人との比較です。“比較”を燃料にして動くから、どこかで必ず心が疲れてしまう。しかし元来他人は関係無いはず。釣りはそもそも、自分の幸福のためにやっているものなのだから、今の自分にとって何が楽しいのかという、「自分基準」だけを追い求めれば良いはず。

道具と幸福──“所有”と“震え”の違い

タックルの世界には幅広い価格帯があります。リーズナブルなものから、工芸品レベルの高額品まで。良い道具を持つこと自体は素晴らしいことです。ただ、それを“優越感の材料”や“釣果を求めるため”の物にしてしまうと、幸福の軸が揺らぎ始めます。そんな時、いつもかの日を思い出すようにしています。

初めてミノープラグで70オーバーのシーバスを釣った日。

20センチ後半台のメバルが自前のトッププラグに出た瞬間。

あの時の心の震えは何にも代え難い。では、ハイエンドロッドやリールを買った時の満足感と比べてどうか。どちらが“幸福”だったか。明確だった。

所有がくれるのは満足。
魚との出会いがくれるのは幸福。

この違いを知った時に、釣りが楽になり、心がもっと自由になれた。そして僕は同時に師の事を思い出す。名人とは、“釣りで幸福になるのが上手な人” のことだったのだと。

ポイント問題と幸福の循環

自分がやっと見つけた一級ポイントが、友人に伝わり、その友人からまた別の友人へ──やがて釣り人が増え、魚がどんどん薄くなっていく。でも、こう考えることが出来るようにもなれた。僕はその瞬間、自分の“幸福のかけら”を誰かに渡した。貸したのではない。あげてしまったのだと。

そして釣れなくなったらどうするか。先輩達がそうしたように、次を探せばいい。あるいは違う釣り、違う魚を目指せばいい。むしろ、新しい冒険の入口が一つ増えたと捉えればいい。

日本は360度海に囲まれている。空いている場所なんて、実は驚くほどたくさんある。50年以上港湾部や海岸線を歩いてきた僕は、現在に至るまで、基本的に“誰もいない場所”を選んで釣りをしている。何せ僕は、そこで出会う魚達はかけがえの無い自分へのご褒美だと知ってしまったから。

いつも心が帰る場所

釣りを続けていると、幸福の形は年代ごとに変わって行き、10代には10代の、40代には40代の、70代には70代の、その時々の自分に応じた幸福の姿があります。だからこそ「自分だけの幸福の形を、自分の手で育てていく」という理念が、現代の世知辛い釣り事情において最も大事なことでは無いかと思うのです。

そもそも釣りというのは僕にとって、「世俗の汚れや競争や苦難から離れ、心と体を守る事ができる」という、代替えの効かない貴重な趣味ですから、その「幸福技術構築の鍛錬」には一切手を抜きません。それ“そのもの”すら、ひたすら楽しい努力だとも言えるほど徹底させています。

釣りをしている時くらいは自分だけの幸福の世界観に浸りたい。誰にも邪魔されず、かつ誰にも迷惑をかけないように。だから少しでも不幸や不興が漂うような空間(釣り場)には一切立ち入らない。間違って入ってしまっても、気づいた瞬間に僕は踵を返します。

「釣りはね、自分探しの長い旅なのだよ。」

だから、僕の釣りの旅路では、いつもこの言葉を道標としているのです。

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