今江克隆のルアーニュースクラブR「ABU FOR LIFE AGAIN 〜ピュアフィッシング公式アンバサダー就任〜」 第1250回
ピュアフィッシング公式アンバサダー就任!
さて今週は、ちょっと驚きの報告です。なんとも縁は異なもの味なものといいますが、この度、2025年8月1日からのピュアフィッシング/AbuGarcia/BerkleyのJB/NBCサポート再開に伴い、「ピュアフィッシング公式アンバサダー」として再びサポート契約を締結することが決まりました。

自宅リビングの隅に鎮座するIMAE&ABU博物館。歴代のシグネチャーリール達の新品と最後まで使ったボロボロの殿堂入りリール、激レアのクラシックABUが飾られている
2021年11月までの経緯
2021年11月、突然の契約解除・JB/NBC撤退発表から4年、35年以上関わってきたメインスポンサーだったピュアフィッシングとの別離は正直、自分のバス人生で一番ショックだったと言っても過言ではなかった。
小学生の頃、ショップのガラスケースの中で輝いていたAbuGarciaのアンバサダーに憧れバスフィッシングにのめり込み、お小遣いの全てをはたいて中学生の時に手に入れた赤ベロこと、5600C。
それ以来プロになっても、自分にとってAbuGarciaは自分のバスフィッシングの象徴であり、記憶に刻まれたバス釣り少年時代の原風景だった。
そしてプロとなった当時「ABU(EBISU FISHING)の顔」でもあった田辺哲男さんに憧れ、後にABUからプロ契約オファーを受けた時の夢のような気持ちは今でも忘れたことはない。
その後、オリムピック、マミヤOP、ピュアフィッシングとAbuGarciaを扱う代理店は変遷していくが、プロとしての最強時代もAbu一筋であることに誇りを持っていた。

世界最大の釣具会社・ピュアフィッシング創設者のトム・ベデル氏との出会いは、自分がピュアフィッシング FOR LIFEを決定づけた出来事だった
何よりピュアフィッシング創設者であるトム・ベデル会長には、アメリカOTGグループ本社、バークレイ研究所に招かれ、さらには会長の自宅にまで数日滞在させてもらい、その後にスウェーデンAbu本社の開発会議にも招聘され、ABU博物館に数々のIMAEシグネチャーモデルを残せたことなど、自分にとって一生忘れることのない恩も受けた。

「リアルディール」と「デュアルディール」。左右両刀使いを提唱した最初のIMAEシグネチャーモデル。ABUの歴史に残る販売記録を作った逸品だ

リールの小型化と共にABUが世に問うた「モラム」のグランドスラム(JB&バサクラ全タイトル制覇)記念モデル。その製造番号000番は自分の手元にある

ABUのロープロ化の旗手となったマグの「オーロラ」と遠心の「暁」。スウェーデン本社で開発部長に直接リクエストしたモデル。これも記録的セールスを達成した。今も「AURORA」はグラビアスに継承されている
USトーナメントに参戦していない日本のバスプロにもかかわらず、プロとして最大限のリスペクトを受けたことで、「ABU FOR LIFE」のスローガンに則り、自分は一生ピュアフィッシングと勝手に決めていた。

結婚記念のロゴが入ったアンバサダービンテージ。これがどれほどの価値があるモノか、自分にとっては人生の宝物である。離婚しなければ…
イマカツの「LOVE FISH FOR LIFE」はそんな気持ちからABUをパクってつけたスローガンでもあった。
突然の契約解除
まさか、そんなピュアフィッシングから、何の相談もなく手紙一枚で契約解除を言い渡されるとはまさに晴天の霹靂だった。
高齢のトム・ベデル氏が経営を引退し、さらにM&Aされ経営母体が釣りとは無関係の投資会社に変わり、それに伴いピュアフィッシングジャパンの社長も異業種からヘッドハンティングで抜擢。
その社長の釣り業界の常識を覆す劇薬的なリストラクチャリングがピュアフィッシングジャパン豹変の引き金だった。
経営的に契約金が出せないなら物品提供だけでも良いからと申し出たが、答えはNOだった。
さらに修理用パーツ供給すら断られたときは「これが外資系企業のドライさなのか」と唖然とするしかなかった。
この年、自分はTOP50年間ランキング3位を獲得していたが、それすら価値をなさなかった。
ベイトリール
結果的にその4年間の劇薬的経営リストラクチャリングが成功だったのか、失敗だったのかは自分の知り得るところではない。
ただ、さして試合成績も良くない自分をもう一度必要としてくれるのなら、全てを拒絶する理由を見つけるのは難しかった。
自分のトーナメント引退後の晩年の夢は、小さなジョンボートで、場所も内緒の秘境の山間の小さなリザーバーで、丸型クラシックのアンバサダーを中身だけ最先端にチューンしてこっそり趣味として楽しみたいというのが、昔からAbu担当に話していた最後の望みだったからだ。
だがこの4年、自分はG-niusグラビアスのサポートプロとして全力で活動してきた。
昔からの事情をよく知る青木哲代表はこの話を相談した折、自分の気持ちを理解してくれリール以外のサポートを提案してくれたが、沢村プロ、REVIVE武本氏と「ABU越え」を目指して心血を注いできた我が子「グラビアスAURORA」や「BLACK RAVEN」を簡単に手放すことなどできるはずもなかった。
現にABU越えは果たしたとの自負もある。
ゆえにピュアフィッシングとの契約は狭義のプロ契約ではなく「ピュア製品公式アンバサダー」としての、包括的総合アドバイザーとしての立ち位置で就任することを、ピュアフィッシングに了承してもらった。
ゆえに「グラビアス」は現状通り、これからも重要な主戦力として使い続けていくことが決まっている。
ただ今後、いまだ人気の高い既存のIMAE旧モデル(LX992RS)の海外での販売、および「グラビアス」既存機種でカバーできない一部特殊なモデルに関して、その隙間を埋める存在としてAbu・IMAE&REVIVEチューンドモデルは、青木代表に了解を得て適宜試合投入していく予定だ。
実は現在も青木代表の了承のうえでAbu時代最後の我が子である「LX992RS-REVIVE」の試合時の継続使用は許可してもらっているので、同じような存在になるだろう。

ギアがゴロゴロになるまで使い尽くした初代ベイトフィネス専用機「LTZ930Pro/ik-combi」と「LX992RS/REVIVE」。「LX992RS」は今も海外で高い人気を維持しているそうだ。後ろは2009年型新型モラムの製造番号No.1の左右
スピニングリールは?ルアーは?