山形県・酒田遊漁船イザナミの船長。
“中野佑希”氏。
現在は遊漁船の船長としての姿が印象的ですが、実は20年以上MADNESSルアーの開発に関わり続けてきた人物でもあります。2025年に登場した、業界初となるボディ全体にシリコンを纏ったオフショアジギング用メタルジグ「シリテンジグ220 エンペラー」も、中野氏の手によるもの。さらに、「シリテンシンペン(65/90)」、「シリテン50」、「バクリースピン6」など…名作と呼ばれるショアSWルアーの開発にも大きく携わっている一人。
さて、今回は中野氏の釣り人生にフォーカスし、釣りを始めた幼少期から、MADNESSとの出会い、そして最新作が誕生するまでの軌跡を、ジックリと伺いました。

中野 佑希(Yuuki Nakano) プロフィール
【幼少期】釣りを始めた年/始めたきっかけ
生まれも育ちも山形県の中野氏。
釣りを始めたのは6歳の時。釣り好きな叔父に良く預けられていたことがきっかけで、毎日のように一緒に釣りに出かけていました。クロダイのフカセ釣りをしていた叔父の隣で、中野氏はミャク釣りをし、身近な魚種を釣って遊んでいたとのこと。
また、母親の実家が山間部にあったため、そこで川釣りをすることも多々ありました。小学生時代、半日授業だった土曜日は、帰りに海で釣りをし、その夜は母親の実家に泊まり、翌日曜日は、夕方に母親が迎えに来るまで川でウグイやコイ、ヤマメなどを釣るという生活を繰り返していました。
【中学校時代】バスフィッシングとシーバスゲームに夢中
小学校時代は校区の制限もあり行動範囲が限られていましたが、中学校に入ってからは一気に自由度が増し、さまざまな場所へ釣りに出かけるように。実は小学校の頃から校区外に出ては、呼び出しを受けていたというエピソードも(笑)。
そんな中で中野氏が目覚めたのが“バスフィッシング”。当時、ブラックバスは今ほど広範囲には分布しておらず、いわば“幻の魚”的な存在で、「釣れる池がある」という噂をもとに友達と開拓。自宅から25kmほど離れた池に毎週末通っていたそうです。
しかし距離の都合でバスフィッシングは週末限定に。
そこで「平日でも手軽に楽しめる釣りを」と、バスタックルをそのまま港に持っていき、ソイやアイナメ釣りに没頭。毎日のように岸壁と船の間にワームを落とし、狙って楽しんでいたそうです。ところが時折、“絶対に獲れない魚”が掛かる…当時は大きなアイナメだと思っていたそうですが、今思えばそれは“シーバス”。
その後、近所の釣具店にシーバスの大物が持ち込まれ、それを見た瞬間「これを釣りたい」と衝撃を受けて、翌年のお年玉で、シマノのバイオマスター(約13,000円)とアブ・ガルシアの竿(約23,000円)を購入。当時はPEラインやフロロカーボンラインもなく、12Lbのナイロンラインを使っていたそうです。
雑誌を読んでシーバス釣りを勉強していた際、「荒磯で釣るといい」と読み、見よう見まねで試してみると実際に釣れた。ただし後に判明したのは、「たまたま自分が釣ったのはスズキだったが、雑誌に載っていたのはヒラスズキでした(笑)」なんて話も。
釣った魚は自転車のカゴに入れて持ち帰り、父親に渡すとお小遣いがもらえたので、それでルアーやラインを買い足していたそう。
【高校時代】エギングに目覚める
高校では水産高校に進学。
校舎の裏に地磯があり「ここでもシーバスが釣れるのでは?」と試すとあっさりキャッチ。いつものようにミノーでシーバスを狙っていると、茶色い集合体のチェイスがあり、正体がアオリイカであると判明。当時、上州屋でアルバイトをしていた兄が、コウイカ用のエギを持ち帰ってきたため、それを使って狙うことに。当時はアオリイカ用のエギもなく、試行錯誤しながら釣っていたそうです。
初ヒットは兄に。
網がなかったため帽子で掬い、「めっちゃ水を吐いてくるな…」なんて思いながら、車に戻り、自分の顔を見ると、墨で顔が真っ黒になっていたというエピソードも。当時はエギングの情報も全く無く、ただがむしゃらに釣りに通い、冬になると釣れなくなり、春になると大物(今でいう“春イカ”)が釣れ、完全にエギングにのめり込んだという。
【卒業後〜】サクラマス釣りに挑むも…
高校卒業後はカツオ船に就職。
ただ、約2年で退職し、地元へ再び戻ってきました。
春に戻ってきたが、とにかく暇…再び磯でシーバス釣りを始めたところ、たまたまサクラマスがヒット。その後も同じ場所で連発。
丁度そのタイミングで、“サクラマス釣り”を本格的に始めるように。10年以上、釣れない人が居るほどの難易度の高い釣りだと、当時は言われていたそうですが、磯で2度連続釣っていた中野氏は何故か自信に満ち溢れていたという。「川でも釣れるでしょ」っていざ挑戦するも、釣れる期間は3〜5月だけ。なかなか釣れずにいると、魚の引きが恋しくなり、渓流でヤマメ、海で青物、バスフィッシングなど…他の釣りも並行して楽しんでいたためなのか?…初めてキャッチするまでに3年を要したそう。
途中で友人からサクラマス専用ロッドを譲ってもらい、使い始めてすぐに釣れ、1シーズンで6本もキャッチしたという。それからは毎春、積極的に狙うようになったそう。
MADNESSとの出会い
その頃、兄がメディア出演やスポンサー契約をするようになり、中野氏も兄の取材に同行し出演。兄弟そろって大物シーバスを連発していた様子が、当時MADNESSと契約していた“小沼正弥”氏の目にとまり、兄がガイド役として関わるように。
お互いサクラマス釣りが好きだという共通点もあったためか、中野氏との関係性も深くなり、開発やテストに携わるようになりました。

小沼 正弥(Masaya Onuma) プロフィール
ある日、小沼氏と当時のMADNESS社長が、ルアーも使える釣り堀で釣りを楽しんでいたところ、「シリテンバイブ」がサクラマスによく効くことが判明。小沼氏は中野氏に「山形県でも試してみてほしい」と連絡し、実際に試すとすぐに釣れたという。
この縁から、20代前半の中野氏は、昼はトラウト、夜はシーバスと、MADNESSルアーを徹底的に使い込むように。
MADNESS公式「シリテンバイブ」詳細ページはこちら
出会いから10年後の転機
約10年後、中野氏は熊本在住の友人を訪ねるついでに、当時プロトだった「バクリースピン6」のテストを実施。ちょうどその時、MADNESSの社長も家族旅行で熊本に来ており、現場に顔を出したという。
MADNESS公式「バクリースピン6」詳細ページはこちら
その際、中野氏がサーフで使用したいとリクエストしていた「シリテンシンペン(65/90)」のプロトタイプも持参していたそう。中野氏は当時、コンクリートポンプ車のオペレーターをしていましたが、社長に「遊漁船を始めようか迷っている」と相談。社長は「いいと思いますよ(笑)」と冗談半分で答えたという。
MADNESS公式「シリテンシンペン65」詳細ページはこちら
MADNESS公式「シリテンシンペン90)」詳細ページはこちら
その2年後、実際に船舶免許を取得し、船を購入して社長に報告すると、相当驚かれたそう。その流れから「せっかく船があるなら、オフショア製品も作ろう」となり、ABSにシリコンを巻いたダイペンの開発を進めようとしたが、他社で同様の構造のシーバス用ミノーが発売されており、パテントの関係で実現できず、硬質発泡ウレタンにシリコンを巻こうとしたが、加熱時に溶けてしまうため断念。
その後、ABSにシリコンを巻いているシーバス用のミノーを開発している会社が無くなり、パテントが切れたタイミングで、ABSにシリコンを巻く方法で再開発。ダイペンとポッパーの開発中に「シリテンジグ220エンペラー」が先に完成。その理由としては、“圧倒的に釣れたから”。動き、強度、コンセプト、色などなど…細かい点も大切ではあると述べているものの、中野氏は「釣れるルアーこそが正義」と語り、釣れないと感じたものは製品化しないという、強い拘りを持たれています。
現在もダイペン&ポッパーのテストは継続中。登場する際は「シリテンジグ220エンペラー」と同様の妥協なき“釣果基準”を満たしていると期待できます。中野氏が関わるオフショアラインナップ…今後も注目が集まることには違いなさそう。
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出典:YouTubeチャンネル「MADNESS JAPAN」